歴史余話

歴史の深層、歴史あれこれ 九州学院の卒業生でも意外に知らない学校の歴史エピソードやこぼれ話などをご紹介します。

バックナンバー

第三十三話 九州学院施設の変遷2

第2回:創立10周年~20周年当時のキャンパス

 1920(大正9)年の九州学院財団法人理事会で、九州学院のキリスト教主義に基づく教育を有効に実施し、その活動を継続して行くために、学院礼拝堂(School Chapel)の建設が強く要望され、礼拝堂の必要性が認められて建設促進に向けて決議が行われました。しかし、アメリカでの教会による建設予算の基金集めは非常に困難を伴ったようです。

創立10周年

 1921(大正10)年に九州学院創立10周年を迎え、5月14日に記念式および陸上大運動会が開催され、翌15日には特別教室で記念礼拝が執り行われています。
 この年の12月5日に九州学院の創設に最も深く関わってきたチャールズ・ラファイエット・ブラウン博士が伝道途上のリベリアで病に倒れて天に召されました。それ以降、ブラウン・メモリアルとしての記念礼拝堂の建築実現に向けての動きが加速し、1924(大正13)年にブラウン記念礼拝堂(Brown Memorial Chapel)がヴォーリズ建築設計会社の設計で承認されました。(ブラウンの足跡については歴史余話第十四話~第十六話に掲載)

普通教室

 1923(大正12)年、本館校舎南側に平屋の三教室と西側に宿直室がありました。1924(大正13)年にはその東側に体育教師室が増設され、その後に建設された旧体育館と結ばれました。

講堂(現ブラウン記念礼拝堂)

 創立10周年記念の事業として、1925(大正14)年に講堂が竣工して10月30日に献堂式が行われました。当初は講堂と呼ばれていましたが、後に九州学院の設立者であるブラウン博士を記念してブラウン記念礼拝堂(ブラウンメモリアルチャペル)と呼ばれるようになりました。一部に2階席設けられた全750席を有する講堂は大変優美で、威風堂々としたものでした。本館校舎と講堂は屋根付きの回廊(コリドー)で結ばれ、雨の日でも各教室から不安なく講堂まで行けるようになりました。
 同年11月18日から学院朝礼が正式に始まっております。ここでは毎朝の礼拝や入学式、卒業式、創立記念式典などの色々な学院行事が執り行われてきました。学院に学んだ卒業生にとっては最も思い出深い建物です。現在では種々の学院行事のほかに卒業生の結婚式などにも利用されています。
 50年余の歴史を重ねてきた講堂も、屋根の梁の木製の部分が白蟻の被害を受けて雨漏りが酷くなってきました。解体の意見が出るようになり、卒業生の心の拠り所である講堂をぜひとも修復・保存してもらいたいと、高校初期の卒業生を主体に保存運動が起きました。1974(昭和49)年)2月に募金活動が始まり、1978(昭和53)年に修復が完了しました(歴史余話第六話)。
 1996(平成8)年には文化庁の登録文化財(熊本県第2号、第43-0002号)として登録されました。
 ヴォーリズ設計事務所による講堂の設計図(青写真)は九州学院歴史資料・情報センターで常時展示しています(歴史余話第三十話)。

建設当時の講堂

建設当時の講堂

1955年頃のブラウン記念礼拝堂

1955年頃のブラウン記念礼拝堂

創立20周年

 1931(昭和6)年10月1日、九州学院は創立20周年を迎えました。創設期の九州学院の建物・設備に加えて、キャンパス拡張計画がはかられ、図書館、特別教室(階段教室)、雨天体操場、プールが総経費62.450円で建設されることになりました。同年9月までにはこれら4つの建造物が竣工しました。

図書館

1935年頃の図書館

1935年頃の図書館

 講堂と並列してその左隣に正面が講堂とよく似た近代的な図書館が建てられました。閲覧室の奥は一部が2階で、1階と2階が開架式書庫になっていました。閲覧室は種々の会合にも使用され、地域には選挙の投票所として貸与されていたこともあります。建設後50年の年月が経ち、白蟻の被害が甚大で、1980(昭和55)年に解体されました。  その後、1973(昭和48)年に院長住宅や職員住宅のあった場所に新しく建設された特別教室棟(現2号館)の中に、九州学院では初めてのエアコンを備えた図書館が完備されました。

図書館内部、奥に2階部分が見える。

図書館内部、奥に2階部分が見える。

グランドから見た図書館と講堂

グランドから見た図書館と講堂

特別教室(階段教室)

 1931(昭和6)年、創立20周年記念事業で、講堂と雨天体操場の間に建設されました。1階に階段教室と物理教室が、2階には談話室や会議室などがありまた。後には吹奏部や剣道部の練習場としても使用されていました。昭和30年代には中学生の音楽の授業で、白川春一良先生の打楽器の授業が行われていました。しかし、老朽化のため1982(昭和57)年解体されました。

竣工当時の物理教室(旧体育館側から望む)

竣工当時の物理教室(旧体育館側から望む)

階段教室の一部

階段教室の一部

雨天体操場

建設当時の体育館

建設当時の体育館

 1931(昭和6)年に特別教室の右隣に建設されました。授業以外では、主にバスケットボール部やバレーボール部が主として練習していました。1968(昭和43)年に総合体育館が建設されてからは旧体育館と呼ばれるようになりました。
 老朽化により、2011(平成23)年に百周年記念体育館が完成した後に解体されました。現在はテニスコートになっていて、体育の授業やテニス部の練習に活用されています
 旧体育館の高い天井を支えていた太い梁(ハリ)の一部は記念として保存され、歴史資料・情報センターの玄関前に設置されているユリノキ(チューリップの木)の根の切り株を支える支持台として再利用されています(歴史余話第五話)。

プール

 1931(昭和6)年、創立20周年の記念事業の剰余金で西日本一の豪華さを誇る総タイル張りの25メートルのプールが竣工し、記念祝賀会の際にプール開きが行われました。当時としては非常に珍しく、高低2段の飛込み台を備えており、飛込み台の部分のプールの底は、V字型に深みが作られていました。
 老朽化がひどく、屋内プールに建替えのために1997(平成9)年7月26日水泳部ОBなど同窓生も集まりお別れ会が開催されました。
 このプールで練習に励んだ吉無田春男選手(バタフライ、J8回、S10回卒)は東京およびローマオリンピックの日本代表として活躍しています。この二大会で着用したユニフォームが歴史資料・情報センターに展示してあります。

竣工当時のプール

竣工当時のプール

1980年頃のプール

1980年頃のプール

 1911年の創立から20周年を経て九州学院のキャンパスは、教育環境としての必要な建物や施設が完備し、その尊厳な威容は在校生や卒業生にとっては大変な誇りに思えたことと想像されます。
 しかし、1960(昭和35)年頃から、長年使用してきた建物や施設の老朽化が問題となってきました。次号では、創立当時からの建物の解体や新規建替などのキャンパスを取り巻く世代交代について述べていく予定です。

1965年頃の九州学院建物群(S4回卒業、小崎義昭氏撮影)

1965年頃の九州学院建物群(S4回卒業、小崎義昭氏撮影)

みなさんがご存知の九州学院の歴史をお教えください。

九州学院の歴史について貴重な写真や資料などをお持ちの方は、お手数ですが九州学院までお知らせください。

[ご連絡先] 九州学院事務室 TEL:096-364-6134