歴史余話

歴史の深層、歴史あれこれ 九州学院の卒業生でも意外に知らない学校の歴史エピソードやこぼれ話などをご紹介します。

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第三十話 メレル・ヴォーリズと九州学院

メレル・ヴォーリズ夫妻

メレル・ヴォーリズ夫妻

学院全景

学院全景

学院全景

1912年竣工直後の九州学院本館

学院全景

1916年東寮完成

学院全景

20周年誌 校内建造物見取り図

学院全景

ブラウン・メモリアル・チャペルの
ヴォーリズ設計図

学院全景

1925年竣工の
ブラウン記念礼拝堂基礎工事

学院全景

20周年誌 図書館

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 九州学院開校2年後の1913年(大正2年)、サウスカロライナ州コロンビアの南部一致ルーテル教会出版局から刊行された『九州学院要覧』(Kyushu Gakuin Memorial)に開校当初の九州学院キャンパス計画図が掲載されている。メレル・ヴォーリズによって「未来予想鳥瞰図」(BIRDSEYE・PERSPECTIVE・KYUSHU・GAKUIN・KUMAMOTO・HIGO・JAPAN, W・M・VORLIS・&・CO・HACHIMAN・OMI)として描かれた「九州学院全景観」(PANORAMIC VIEW OF KYUSHU GAKUIN.)である。
 この全景図には、1911年(明治44年)開校時に完成していた寄宿舎、雨天体操場、院長住宅、職員住宅、正門(現存の東門)と、翌年1912年(明治45年)4月竣工した本館、寄宿舎食堂が描かれている。それ以外に、本館前の北側に並行して中央に大きなチャペル(Chapel)が描かれている。このチャペルは神学校舎(Theological Building)を併設したものになるはずであったが、資金難から予定どおりに建設されることはなく、創設者ブラウン博士亡き後の1925年(大正14年)、改めてヴォーリズ建築設計により、現存の「ブラウン・メモリアル・チャペル」(ブラウン記念礼拝堂・講堂)が本館と正門の間に建てられた。ヴォーリズは、九州学院開校当初から学院全体のキャンパス構想や建築にかかわっていたのである。
 ヴォーリズは、1908年(明治41年)10月京都で建築設計監督事務所(後のヴォーリズ建築事務所)を開業し、1910年(明治43年)12月建築家のレスター・チェーピン、吉田悦蔵と3人で「ヴォーリズ合名会社」を設立した。ヴォーリズが建築設計業務を始めたこの年の1月19日に私立九州学院は設立が認可され、学院施設の建築が本格化したのである。
 九州学院の校舎・施設でヴォーリズ建築設計によるものと判明しているものを竣工順にあげると、1914年(大正3年)特別教室棟(本館西側)、1916年(大正5年)寄宿舎東棟(寄宿舎南北棟を連結した東棟)、1925年(大正14年)講堂(ブラウン・メモリアル・チャペル)、1931年(昭和6年)創立20周年記念事業で建てられた図書館(チャペル北側)、階段教室棟(チャペル南側・本館東側)、体育館(階段教室棟南側)である。ここには学院開校翌年の1912年(明治45年)に竣工した本館は含まれていない。本館の施工業者は飯田組であることは記録資料から判明しているが、設計者の記録は残っていない。
 飯田組から提供された竣工直後の本館写真がある。この写真には、創設者ブラウンと二人の息子、飯田組の社員が写っている。本館の建築は、1910年(明治43年)学院設立認可後に本格的に始まっていることから、本館の設計にヴォーリズ合名会社が関わっている可能性はあまりない。建築様式や構造、意匠が、第五高等学校本館(現・第五高等学校記念館)と類似していることから、五高の建築設計業者が関わっているのではないかと推測される。ブラウン博士と共に九州学院創設に尽力した遠山参良初代院長は、1910年(明治43年)9月30日、五高教授を依願免本官になるまで英語科の教授として重責を担っており、遠山参良が周旋したのではないかとも考えられる。
 こうした経緯を踏まえると、ヴォーリズ建築設計が九州学院と本格的に関わるようになったのは、本館が竣工した1912年(明治45年)からで、それが具体的に現れたのが『九州学院要覧』の九州学院キャンパス「未来予想鳥瞰図」なのである。ここには、ヴォーリズのミッションスクールに対する構想理念が如実に反映されている。
 因みに、ヴォーリズ建築設計で唯一現存する「ブラウン・メモリアル・チャペル」の1925年(大正14年)竣工時の〈設計図〉(青刷り・「九州学院ブラウン記念講堂」株式会社一粒社ヴォーリズ事務所)を保存しており、現在、「創立100周年記念 歴史資料・情報センター」で展示している。
 「ブラウン・メモリアル・チャペル」は、「鉄筋コンクリート構造小屋組木造化粧トラストの建築で、多目的なものであるが、3廊式の教会堂建築スタイルをとり、講壇も設けられている。また、両側の側廊部に架かる真白なアーチが連続するアーケード上部にクリアストリー(高窓)をとり、側壁には2連の半円アーチ形の窓を設けるなど、全体の構成は同じヴォーリズ設計の大阪教会(日本基督教団・1922年・大正11年)と共通しており、興味深い。天井には木造トラスが露出しており、入口上部には2階席も設けられている。」(山形正昭『ヴォーリズの建築』)
 ヴォーリズ建築設計によるロマネスク式教会堂様式の「九州学院ブラウン・メモリアル・チャペル」は、1922年(平成4年)窓の木枠などが取り替えられ、1997年(平成9年)には、内外壁の洗浄、塗料吹き付け、白蟻駆除、取り付け電灯から移動式レールへの変更などを経て、国の登録有形文化財として、その荘重な雄姿をキリスト教学校・九州学院の今に留めている。

なお、本年1月16日~21日「ウイリアム メレル ヴォーリズ展in熊本」が熊本県立美術館分館で開催された。その一環として実施された21日の九州学院ブラウンチャペルの現地見学会では、多くの参加者があった。(「センター訪問者紹介」に関連記事を掲載

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