歴史余話

歴史の深層、歴史あれこれ 九州学院の卒業生でも意外に知らない学校の歴史エピソードやこぼれ話などをご紹介します。

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第六話 甦ったブラウンチャペル

 創立者C.L.ブラウン博士を記念したブラウン メモリアル チャペルは、1924(大正13)年4月の理事会で記念礼拝堂建設の最終決定がなされた。
 ヴォーリズ建築設計事務所の設計で、関組が建築を担当した。当時の金額で総額 86,756円 (34,355ドル)で1ドル2円50銭の時代である。関組はヴォーリズの設計した西南学院本館(大正10年竣工)や久留米ルーテル教会(大正7年)も手掛けている。

 1925(大正14)年10月30日に献堂式が宣教師、牧師、全校教師、生徒その他関係者多数の参列者のもと盛大に行われた。
 このチャペルは、鉄筋コンクリート作り木造小屋組のロマネスク風スタイルの外観で優美な建物である。一部二階建ての750席を有する会堂で、聖壇脇の控室の地下室にはボイラーがあり、スチーム暖房の装置が設置されていたが、第二次世界大戦の時、金属供出で撤去された。
 歴史を重ねるにつれて老朽化し、また白アリの侵食などが原因で雨洩りがひどくなり、旧本館の解体に引き続きチャペルの取り壊しの計画も浮上していた。それを聞き知った卒業生の有志が、旧本館はやむを得ないとしてもこの講堂は自分たちの青春の思い出、心の拠りどころとして永久保存を貰きたいと運動を始めた。1974(昭和49)年2月に次のような趣意書を出して保存運動開始した。

◎ 同窓有志による講堂保存についての訴え(抜粋)

 「私達の卒業以来学園のキャンパスも変貌しています。私達が朝な夕な学んだ校舎は寄り年波には勝てず、その教育的使命も終わったと聞いています。(中略)
 先日同級生有志が集まった際、旧き革袋が破れていくことは、年の流れで致し方がない。しかし、私達にとっては、淋しい限りである。いつも母校を訪ねていくわけではないが、私達が学んだ時代の面影がキャンパスの中に少しでも残っているならば、私達の青春時代の深い回想と連なり、ひいてはこれからの私達の人生の歩みに少しくうるおいをもたらすものとなりはしないか等と考え,旧校舎が保存されないものであるならば、講堂だけは寄る年波にかち抜くだけの力を与えて置いたら如何なものかと話し合いました。(中略)
 講堂は母校の象徴的な建造物であり、その中で語られた言葉は私達の人生の指針となり、そこでお互いに歌った賛美歌は、私達に慰めと力を与えるものであったと存じます。そしてこの講堂で後輩達が九州學院スピリットの一端を正しく体得していって貰いたいと念じているのは私達卒業生の偽らざる心情です。そのようなことから、私達有志相はかって講堂永久保存のための寄金を集めようではないかと考え、皆様のご賛同を得たいと思っているしだいです。」

 以上の趣意書の発送に応え1976(昭和51)年10月20日現在で、講堂修復事業寄付の応募者が938名で募金額8,012,209円の記録が残っている。
 このような卒業生たちの熱意に応え学院では修復保存をすることを決定して、1978(昭和53)年に屋根部分の木部を取替て修復を完成した。これにより見事にブラウン チャペル講堂は甦ることができ、現在は学校行事での使用のほか、育友会(PTA)や教会関係の集会や卒業生の結婚式などにも利用されている。
 1996(平成8)年10月には、歴史的景観の保存に寄与し再現が難しい建築物に与えられる、文化庁の登録有形文化財の熊本県第一号指定を受けた。創立当時の格調高く凛としたその雄姿を現在も偲ぶことができる。

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