歴史余話

歴史の深層、歴史あれこれ 九州学院の卒業生でも意外に知らない学校の歴史エピソードやこぼれ話などをご紹介します。

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第四話 山鹿灯籠の技法で作製された九州学院旧本館の模型

旧本館の1/50精密模型

玄関

玄関

 旧本館は創立2年目の1912(明治45)年に竣工し、1974(昭和49)年までの63年間多くの卒業生を世に送り出してきた学び舎であった。
 この校舎は西洋建築様式のモルタル塗りで、その木部と窓枠がベンガラ色で、壁面の濃いモルタルの色とのコントラストが華麗であった。屋根には6基の暖炉の煙突が備えられ、各教室とも石炭を燃やして暖房としていたものである。窓は上下に昇降するモダンなものであった。また、院長室や事務室の扉にはアメリカからの寄付を表すプレートが取付けられていた。
 1974(昭和49)年1月28日の熊本日日新聞には「家は生きてきた 残したいシンボル」いう記事に、「白アリの被害もひどくベンガラに似た色に塗られた木部、濃い灰色の壁面は完成時にはさぞや華麗な姿を見せただろうとしのばれる。中でも玄関の車寄せと破風のデザインは今見ても迫力があって素晴らしい。完成以来この校舎で学び卒業した人は大変な数にのぼるだろう、その人たちは青春の一コマとして、きっとこの校舎のことを記憶しているだろう」という趣旨の特集記事が掲載されている。
 この旧本館も、老朽化し荒廃してきたので解体されることが決まった。思い出が多い校舎を何とか保存できないかとの声が上がり、新制高校の初期の卒業生の間で保存のための募金運動を始められた。
 保存運動の中で、校舎の玄関を含む中央部分だけでも移転保存をと考えられた。一方、学院では校舎の新築のほかに運動場拡張の計画もあり、また新築の資金借り入れでは、旧館は解体するとの条件もついていた。
 集められた金額では一部の保存も不可能と思われ、また公的資金の補助も無理ということで保存を諦めざるを得ない事態になった。そこで折角集まった300万円ほどの浄財を活かせる方法を検討した結果、山鹿灯籠の技法を用いて模型を製作することになった。
 山鹿灯籠制作の巨匠徳永正弘氏に依頼して50分の1の精密な旧本館の模型が1975(昭和50)年2月に完成した。外観はもちろん内部の教室の扉や階段も忠実に再現されており、これを本来の大きさにして復元してもセンチ単位の誤差しかないといわれる緻密な作品である。
 旧本館の精密模型は2014年3月24日から6月15日まで、熊本県伝統工芸館で開催された「伝統の心と技:山鹿灯籠展」に出展の依頼があり、この間多くの人々に改めて九州学院の100年前のモダンな学び舎を知ってもらう好機となった。
 山鹿灯籠は和紙とのりだけで作られた繊細優雅な伝統的工芸品である。一般に山鹿灯籠の技術で作られたものは大型の神社仏閣等の模型が大部分を占める中で、西洋建築様式の旧九州学院本館模型は異彩を放っていて、来館者の興味を大変引き付けた。九州学院にとっては後世に伝えていく大変貴重な遺産である。

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