創立70周年が近づくにつれ、同窓会の活性化の機運が高まり、幾多の議論の末に1980年(昭和55年)1月に九州学院同窓会第1回新制部会総会が開催された。前回の歴史余話(第26話)で紹介した通り、平井英雄(旧制34回、新制1回)氏を新制部会長とし、同窓生と教職員からなる総勢62名の役員が選出された。これは70周年記念事業およびそれ以降の九州学院の将来を見据えての同窓会組織の再編でもあった。
創立70周年に際しては、九州学院70周年史の発行、育英奨学制度の設立、同窓会館の設立、校外総合運動場建設、九州学院付属みどり幼稚園新設移転、記念音楽祭等の記念事業が検討された。一連の記念事業の募金目標額は5億1750万円であった。
1981年(昭和56年)8月23日、九州学院講堂において「九州学院70周年記念事業推進大会」が開催された。そこでは、各事業の趣旨説明や事業達成のために同窓会として募金目標額1億円(募金期間3年)が紫垣正弘同窓会長から示された。この目標額達成のために、新制部会の募金委員会が中心になり、これまでにない大規模な募金活動が展開された。制部会の活動として、最も重視されたのがこれまでの同窓会組織の強化と会員の掘り起こしであった。また、川瀬清同窓会長の勉学に秀でた優秀な生徒を是非とも九州学院に招きたいとの強い要望の基に、育英奨学制度の充実が掲げられた。
三浦九朗組織委員長のもとで、1980(昭和55)年9月には次のような檄文を同窓生に送り、活発な活動が続いた。(要約)
学院主催の記念行事として、1981年10月29日に九州学院講堂で教会関係者、教職員、同窓生、生徒などが参列して厳粛に記念礼拝が行われた。創立記念行事の初日にふさわしい礼拝であった。30日に熊本市民会館で記念式典が開かれ、斎藤堅固院長の式辞、柏木理事長の挨拶に続き永年勤続者表彰があった。祝辞は澤田一精熊本県知事、星子敏雄熊本市長、上田祐規私立学校代表、森勉日本ルーテル教会、紫垣正弘同窓会長、住本親人PTA会長、島本深生徒会長と続き、記念講演として「人間の心」と題して同志社大学松山義則学長の講演あった。30日と31日の夜にはブラスバンド定期演奏会(市民会館)、記念書画写真展(市民会館ホール)が開催された。
また、31日には招待試合が市立体育館で行われ、ボクシングが大分津久見高校、ハンドボールが宮崎小林工業高校、バドミントンが長崎瓊浦高校、卓球が宮崎工業高校、バスケットボールが福岡大濠高校、柔道が鹿児島実業高校、剣道が佐賀龍谷高校とそれぞれ対戦し親善を深めた。
同窓会主催の行事は10月30日に同窓生大会を交通センターホテルで開催し、31日に70周年記念音楽祭を市民会館で昼夜2回開催した。この音楽祭の構成と演出は岩城浩一氏(S1卒)依頼し、第1部「ジャズ・イン・くまもと」を世良譲トリオ・弘田三枝子その他、第2部は坂上二郎の歌と司会で葵ひろ子やザ・チャープスの三人娘の「歌うハッピーステージ」、最後は火の国旅情などで大盛況であった。11月1日には同窓生ゴルフ大会が高遊原カントリークラブで行われ、県外からも約20名が参加して同窓生120名が秋の一日を楽しんだ。
次に、70周年にふさわしい次のような記念事業が行われた。
九州学院創立からの歴史・資料等を集大成したものとして、中田幸作氏(旧30回、九学教師)が責任編集を行った。内容は初代遠山参良院長時代(草創期)、二代稲冨肇院長時代(動乱期)、三代川瀬清院長時代(新生期)、四代池永春生院長時代(充実期)、五代斎藤堅固院長時代(拡張期)、学校法人九州学院の歩み、九州学院寮史、九州学院附属みどり幼稚園略史、九州学院沿革史、学友会活動という項目で編纂されている。中田氏は教師の傍ら文筆家としても活躍し歴史を踏まえながらも読みやすいものとなった。
昭和55年9月17日に第1回の「育英奨学を考える会」として教職員5名、同窓生6名が集まり今後の九州学院の進むべき道として大学への進学率の向上、教育環境の整備が必要との議論が始まった。その後、新制部会の育英奨学委員会が主となり、70周年事業の一環としての育英奨学基金制度が立上がった。この基金規定の第1条には本基金は、九州学院中学校および高等学校生徒の育英奨学事業に資することを目的とする。第2条で次の各号に掲げる事業を行う。1育英奨学のための基金の充実、2育英奨学のための金品の贈呈、3その他本基金の目的達成に関し必要な事項とうたわれている。
昭和58年4月22日に第1回の奨学金授与式が行われ中学1年2名、高校1年1名に森本孝(S5)育英奨学委員長と玉城昌一(S8)副委員長出席のもと川瀬清(旧6)同窓会長から授与された。
当時の同窓会は母校の校舎の一室を借りて事務処理を行っているに過ぎなかった。同窓生の絆を強め、同窓会活動をより活発に行うための拠点を持っていなかったことから、70周年を機に同窓会の拠点としての九學会館の建設が強く求められた。同窓会館は会議室、談話室等のほかに、在校生の利用を考えて食堂と合宿研修のための宿泊施設を備えたものとなった。待望の九學会館は昭和59年9月に着工、1985(昭和60)年3月16日開館した。同窓会の事務局は同会館の1階に移り活動の拠点となった。
九州学院のスポーツの活躍は目覚ましいものがある。しかし、限られたキャンパス内での野球、陸上、ハンドボール、ラグビー等の練習は時間差を設けたり、あるいは各部入り乱れての練習が日常化して、安全性にも問題があった。このような状況を変えたいとの強い要望があり、校外(旧飽託郡北部町徳王)に総合運動場の建設が持ち上がった。
総工費3億6300万円、約1万1千坪で昭和56年10月29日に起工式、57年6月に完成して徳王グラウンドと命名された。その直後7月24日の豪雨によりグラウンドの一部が決壊したが、その修復が昭和59年に完成した。6月10日にグラウンド開きの式典に続き、野球は春の選抜に活躍した佐賀商業高校、サッカーは鹿児島実業高校と佐賀学園を招き親善試合が行われた。
園舎の老朽化に伴い、九州学院キャンパスの南に隣接する職員住宅跡地に新築移転することになった。新園舎は保育室4室を含む鉄筋コンクリート2階建で、昭和57年3月に完成し5月26日に落成式が行われた。現在は平成27年4月からは幼保連携型認定こども園として認可されている。
九州学院創立70周年の各種事業は、これまでにない大規模なものとなった。この背景として九州学院の建学の精神を再確認するとともに、未来に向かっての新たな出発の意味が強かったと思われる。一方、熊本県内の私学の新設や再編や動向も背景にあったようである。
以後、80周年、90周年と周年の記念事業について学院と同窓会は協力して各種事業を行ってきたが、80周年の時は学院が提起した男女共学について、従来の男子校としての伝統が損なわれるのではなどの意見がでて、同窓生の間で大きな反響があり問題になった。
2011年には創立100周年を迎え、学院、育友会および同窓会が一緒になり盛大な記念行事が挙行された。