歴史余話

歴史の深層、歴史あれこれ 九州学院の卒業生でも意外に知らない学校の歴史エピソードやこぼれ話などをご紹介します。

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第二十五話 戦前の修学旅行

 昭和の初期は、現在と違い修学旅行と称して各学年で毎年旅行が行われていた。当時の記録を紐解いて見ると、年と共に費用の変遷も窺われる。

 昭和5年度は「修学旅行ハ生徒ノ経費負担ノ軽減其他ヲ考慮シ旅行地モ九州ヲ出ズルコトナク毎年秋十月下旬一泊或ハ二泊ノ予定ヲ以テ実施シツツアリテ生徒ノ欠席ハ殆ド皆無ト謂フベキ有様ニテ其旅行ニ於テハ何等ノ事故ヲ生ズルナク毎年有効ニ実行シツツアルナリ」と熊本県への報告文書に記載されている。

一学年 阿蘇地方      1泊  3円
ニ学年 島原地方      1泊  4円
三学年 宮崎・鹿児島地方  2泊  9円
四学年 北九州・大分地方  2泊  9円
五学年 長崎・佐世保地方  2泊 10円

昭和8年の宗像忠先生(昭和2年6月~昭和28年8月、物理担当)の教授日誌によると
10月5日午前5時水前寺集合、職員6人生徒74名、9時頃竹田着。自動車にて10時ころ久住町、直ちに登山午後3時過頃頂上、4時頃法華院温泉着。
10月6日午前9時法華院発、午後2時頃筋湯着。夜暴風。
10月7日午前7時筋湯発、大暴風を犯して帰路に就く。午後2時宮地着直ちに洋服を乾燥さす。午後4時過の汽車発、午後5時過水前寺着。
これは一年生の阿蘇地方旅行の記録と思われる。

昭和9年度の記録によると、「修学旅行ハ生徒ノ心身鍛錬ヲ目的トシ且ツ自然ノ雄大ニ接セシメ猶経費負担ノ軽減ヲ図リ登山旅行トシテ十月上旬実施セイ欠席生徒モ極メテ少ナク且ツ旅行ニ於テハ何等ノ事故モナク尤モ愉快ニ有益ニ行ヒタリ」とある。

一学年 阿蘇山(大観峰)  日帰  1円21銭
ニ学年 雲仙岳       1泊  4円
三学年 市房山       2泊  5円
四学年 久住山       2泊  5円
五学年 霧島山       2泊  7円11銭

昭和10年10月14日付けの「學生團体乗車申込ノ件」として熊本駅長と水前寺駅長宛に次のような申込書類が残されている。この年は行先、費用は前年と同じ。

一学年 阿蘇山(大観峰)  日帰  1円21銭
ニ学年 雲仙岳       1泊  4円
三学年 市房山       2泊  5円
四学年 久住山       2泊  5円
五学年 霧島山       2泊  7円11銭

  

※ それぞれの画像をクリックすると拡大します。

昭和13年の宗像忠先生の教授日誌には、次の通り記載されている。
10月20日午前5時10分集合5時半出発水前寺駅、筋湯宿泊。阿蘇外輪山を過ぎる頃より雨、筋湯に到着まで雨にぬれ大閉口。
10月21日法華院宿泊。
10月22日午後6時頃水前寺駅前にて万歳三唱解散。

昭和15年は「修学旅行は生徒の心身鍛錬を目的とし且つ自然の雄大に接せしめ猶又一方経費の軽減を図り毎年十月下旬登山旅行を実施す欠席生徒も極めて尠なく且つ旅行中も何等の事故なく最も愉快に有益に行い居れり」

一学年 阿蘇山       日帰  3円50銭
ニ学年 雲仙岳       1泊  4円50銭
三学年 市房山       2泊  5円50銭
四学年 久住山       2泊  5円50銭
五学年 霧島山       2泊  8円50銭

昭和17年になると「本年度ハ鉄道輸送関係等ニ由リ修学旅行を行ハズ」と戦争の激化に伴い修学旅行は中止となった。

現在は、中学校が2年の11月に沖縄研修旅行に3泊4日(旅費は75,000円)で、高校は2年生の2月に新潟上越スキーと東京に3泊4日(費用は85,000円)で出かけている。一方、特技クラスはこの時期は試合の大会などで旅行に参加できない生徒もいる。3年生の1月に2泊3日(費用50,000円)で別途関西に出かけている。
戦前の修学旅行と比べると行先も費用も交通手段も格段の違いがあるのは当然であるが、時代の変遷が思われる。

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