歴史余話

歴史の深層、歴史あれこれ 九州学院の卒業生でも意外に知らない学校の歴史エピソードやこぼれ話などをご紹介します。

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第十三話 九州学院校歌の変遷

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九州学院宗教部発行『敬天愛人』

20周年記念祝賀式

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九州学院宗教部発行『敬天愛人』

20周年記念校旗

  九州学院の校歌は、1931(昭和6)年の創立20周年を記念して作られた。それまで、校歌はなかったのである。
 昭和6年10月1日(木)、九州学院創立20周年記念式典がブラウン記念礼拝堂で挙行された。記念式当日には絵画展覧会が開催され、翌2日(金)には記念運動会が、3日(土)には体育デーとして、武道大会、野球大会、庭球大会、バスケットボール大会が、それぞれ開催された。
 創立20周年記念として、『創立二十周年記念誌』(10月1日発行、編集発行人・稲冨肇)が発行され新しく作られた校歌が発表された。因みに、「記念校旗」(KGマーク旗)と「二十周年祝賀歌」(坂本隆知作)も創立20周年を記念して作られた。
 九州学院校歌は坂本隆知(国語・漢文)の作詞で、古坂剛隆(修身・英語)が作曲した。古坂剛隆はルーテル教会牧師で、稲冨肇牧師(第2代院長)と共に、当時学院の聖書課程(Bible Course)を「修身」として担当していた。1年の「キリスト入門と生涯」、3年の「キリストの働きと教え」、5年の「応用キリスト教」を稲冨牧師が教え、2年の「旧約聖書入門」、4年の「聖パウロの生涯と働き」を古坂牧師が教えた。古坂は讃美歌をオルガンで弾き、作曲もする音楽家でもあった。
 『創立二十周年記念誌』に載せられた原歌詞の1番は、次のものである。ただし、旧漢字は新漢字に直した。

(一)
  青蕪に歴史の跡残す    託摩か原の一角に
  日毎武を練り文を練る   九学健児霊育の
  活ける真清水流れては   絶えずも若き胸にみつ

 現在の歌詞では「日毎を練り」となっているところが、原歌詞では「日毎を練り」であった。昭1942(昭和17)年4月8日発行された創立三十周年記念号『大江』には、戦時体制下、校歌は掲載されていない。1952(昭和27)年1月25日発行の創立四拾周年記念誌『KYUSYU GAKUIN 1951』では、「日毎を練り」と記されている。太平洋戦争終了後に変更され、現在の歌詞になったと考えられる。
 1946(昭和21)年11月3日、日本国憲法が公布され、新憲法下で新しい教育制度への改革が進む中、同年12月1日付けで、「九州中学校」から「九州学院中学校」への名称変更が認可された。
 戦後民主主義教育への改革によって教育勅語奉體の学校から基督教主義の学院に学則変更をする中で、校歌の歌詞も「武」から「身」へと変更され、現在の「九州学院校歌」となったのである。

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