創立者の精神を学ぶ会を行いました。
[2008-10-04]
10月4日(土)、坂根信義先生(元明治学院東村山高校校長・現ルーテル学院理事長・九州学院理事)をお招きして、創立者の精神を学ぶ会を行いました。S10回卒業生である坂根先生は「九州学院からもらった宝もの」と題し、九州学院に対する思いを体験談を交えながら熱く語られました。講演終了後には全校生徒で校歌を歌い、中学1年生と高校1年生はその後、昨年学院敷地内(ブラウンチャペル前)に移転された初代院長遠山参良先生の記念碑前に集まり、黙祷を捧げました。
正面写真は初代院長遠山先生の遺影
初代院長の記念碑の前で黙祷する中学1年生
以下は、記念碑を建てた時の2代目院長の言葉です。(記念碑横のプレート)
遠山参良初代院長記念碑鎔(訳文)
遠山先生謝恩記
先生は諱(いみな)(生前の実名)を参良といい、慶應二年一月十三日にハ代郡鏡町でお生まれになりました。長じて京都同志社(現・同志社大学)に学び、更に北米ウエスレアン大学(オハイオウエスレアン大学)に入り日夜勉学に勤しみ励まれました。(米国での)学業を成就され、帰国されると直ちに長崎の鎮西学院に招聘され、その後、第五高等学校(現・熊本大学)に転任されました。明治四十四年(一九一一年)九州学院の創立に際し推挙され、(初代)院長に就任されるにあたって、深く思いめぐらされるところがありました。思うに学院の創設の目的は「善士」(品格ある立派な紳士)を養成することにあり、それ故心性(心と生まれつきの性質)を陶冶(厳格に教育し養成)するためには「教理」(キリスト教の教えの体系)に基づくことが必要だとされました。そこで自ら「霊育」の語を選定して、これを標榜(掲げ示す)されました。爾来(それより以後)二十二年間、早朝から夜遅くまで勉め励むことに身をもって当たられ、遂にわが学院は今日の隆(りゅう)運(うん)(繁栄する機運)を実現するに到りました。実に(紛れも無く)東肥(肥後・熊本)の教学の儀法(規範)が表明されたのです。しかしながら、不幸なことに先生は病に見舞われ、昭和七年十月九日に六十七歳で校内の住宅にて逝去されました。嗚呼(残念ながら)先生は今や亡き人となってしまわれましたが、その自助積善(せきぜん)」(自分の力で自主的に善行を積む)の教えや「至誠(しせい)奉公(ほうこう)」(真心で奉公する)の教訓は、後進の子弟(青少年)の心に深く刻みつけられ、永遠に滅び無くなることはないでありましょう。不肖(及ばずながら)、私「肇」のような者が先生の後任を拝受し、恐れ多くも先生の遺業(いぎょう)(残された事業)を失墜させる(失敗し信用を失う)ことがないかと、そのことを危惧しています。「遠山先生謝恩会」ができたのも決して偶然ではありません。茲(ここ)に、志を同じくする者及び先生に繋がる仲間で相談をして記念碑を墓の傍らに建て、聊かなりとも(少しでも)先生への私たちの情意を刻み記し、思いを寄せることにいたしました。爾(しか)云(い)う(以上のとおり)。
昭和十年十月九日 稲富 肇(第二代院長)記