毎日新聞 「未来へのメッセージ」ゴリけんさん(S44回)
[2016-03-14]
敬天愛人 九州学院105年・未来へのメッセージ
「窮地救った笑い」
お笑い芸人・ゴリけん(町田健一郎)さん /熊本
毎日新聞2016年2月28日 地方版
お笑い芸人・ゴリけんさん(42)
<実家は八代市日奈久の新聞販売店。九州学院剣道部出身の父親の影響で幼い頃から剣道に打ち込んだ>
小学生の時は野球をやりたかったのに、父に「それは自由だが、野球をやるなら俺は一生口を利かない」と言われたんです。剣道をやるしかないでしょ。周囲の剣道の先生たちも「才能あるぞ」とおだててくれました。
<中学時代から芸能界に憧れがあった>
学校で光GENJIのダンスを完璧に踊ったら女子が「やめて」って泣き出したことがありました。しまいに学級会議で「女子を傷つけることをするな」とダンスを禁じられました。アイドルやお笑いが大好きでしたね。
<九州学院に進学をして念願の剣道部に入部。厳しい練習とレベルの高さに驚いた>
九学に行くのが格好いいと思っていて、上京するような感覚で入学しました。毎朝下宿先を出て午前5時半に道場に着くと掃除の始まりです。周囲は有名選手ばかりで、休みは正月しかないのでつらくて友達は誰もいませんでした。口数が減っていたと思います。
<居場所がない中、笑いが窮地を救う>
夏前の合宿でした。ランニング中に上級生から「誰か芸をしろ」と言われました。僕は指名されてもないのに急にお尻を半分出して走り始めた。そしたら大爆笑。居場所をつかんだ瞬間でした。後輩たちには勇気とお尻の大切を訴えたい。
<評判は瞬く間に学校中に広がった>
体育祭や文化祭でマイケル・ジャクソンや野球部元監督の緒方徹先生のものまねをしました。先輩から生徒会長選挙の応援演説を頼まれたこともありました。3年生になると先生に「頼むから生徒会長に立候補するな」と言われたくらいだから狙える位置にいたんですかね。もちろん勇気ある撤退をしました。
<剣道部ではレギュラーになれなかった>
多くの同級生が部をやめる中、僕は続けるのも勇気だと思いました。道場の壁には歴代部員の名前を書いた札が掲げられており、その中におやじの札もありました。八代から出てきた意地もあって剣道をやりきることができました。そのことが誇りになっています。
<福岡大進学後も剣道を続け、4年時には福岡6大学の7人制大会で最優秀選手(MVP)に選出されるなど活躍。大学卒業後に吉本興業のタレント養成所NSCに入校した>
NSCでは指導陣が「才能のない人を見つけて辞めさせるのが仕事」と言い切る厳しさでした。今も夢をつかむ途中ですが、笑いでスベると芸人を辞めたくなるほどつらい。そんな時は九州学院卒業の日に「剣道部の3年間よりきついことはないぞ」と励まされたのを思い出します。剣道をやりきった昔の自分が、今になって応援してくれるんです。「あの時は乗り切れたやろ」って。【柿崎誠】=次回は3月13日掲載。卒業生は陸上選手の末続慎吾さんです。
■人物略歴
ゴリけん(本名・町田健一郎)
1992年卒業。ワタナベエンターテインメント所属。2009年に福岡で始まった人気番組「ゴリパラ見聞録」は国内9局に広がり、3月14日にDVD第4弾が発売される。博多座の舞台「めんたいぴりり」に出演するなど活躍の場を多方面に広げている。剣道は3段の腕前。