おしらせ

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毎日新聞「未来へのメッセージ」 田山淳朗氏(S25回)

[2016-02-09]

九州学院105年・未来へのメッセージ 

「自分の好きな道を」

                       毎日新聞2016年1月31日 地方版

デザイナー・田山淳朗さん(61)

 <自社ブランド「アツロウタヤマ」を国内外で展開し、パリコレクションに常連として参加する原点は10代の熊本時代にあった>

 熊本市出身で、兄が九州学院中学に通っていました。九学には古いチャペルや図書館があり、外壁にツタがはっているのを知っていました。コンクリートの殺伐とした校舎を望んでいなかった僕は、伝統的雰囲気にひかれて九学を選びました。

 <入学後の1970年代、米国東海岸の名門大学の学生ファッションを発祥とする「アイビールック」が若者の間で大流行した>

 アイビールックという洗練されたファッションとミッション系の九学の雰囲気がマッチしているように感じてね。小遣いは限られているから仲の良い同級生5、6人で雑誌「メンズクラブ」を買って回し読み。雑誌や本を通して米国のファッション情報をどんどん吸収しました。当時からノートに洋服のデザイン画を書いていたけれど、下手だったね。

 <在学中から次第にデザイナーという夢が明確になっていく>

 ファッション界の頂点にデザイナーがいると思ったから、駄目でもいいから頂点に目標を置き、全国からファッション界を目指す学生が集まる文化服装学院(東京都)への進学を決めました。先生たちは「自分の好きな道に進みなさい」と言ってくれました。学校行事に興味がなく、体育祭で死ぬ気で走るなんてできなかった僕は、一生懸命の方向性が皆と違っていたんです。

 <専門学校の講義は想像以上の忙しさ>

 大学生の友達に飲みに誘われても毎日の宿題が多過ぎてそれどころじゃない。平日は朝から夕方まで授業に出て、放課後は宿題をこなしました。センスで優劣がつくシビアな世界だから必死だった。それでも2年間、無遅刻無欠席。一度休んだら大変さから逃げる癖がつくと考え、逃げないように自分を学校に縛り付けていました。

 <20歳でデザイナーズブランドの「ヨウジヤマモト」に入り、24歳の時に単身、海外法人の設立を任された>

 バッグ一つでパリに飛びました。言葉はちんぷんかんぷん。現地通訳と物件を探して会社登記まで全部こなしました。人生の中で一番大変だった。でも、世界の人が憧れるパリで成功するんだという思いが原動力でした。

 <帰国後に独立。自社ブランドを立ちあげ、仏の有名ブランドのデザイナーも務めた>

 作りたい服を作るには資金やスタッフ集めなど環境作りが大変で、この段階で9割の人が逃げ出してしまう。夢を実現するには、そういう過程も理解して我慢に近いことをすることも必要ですね。【柿崎誠】=次回は2月14日掲載。卒業生は絵本作家の葉祥明さんです。


 ■人物略歴

たやま・あつろう

 1973年卒業。文化服装学院、ヨウジヤマモトを経て82年に独立し、自社ブランド「A・T」を発表。86年に毎日ファッション大賞の新人賞・資生堂奨励賞に輝く。国内外ブランドのデザインも手がけて成功に導き、自社ブランドは香港や中国にも出店している。

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