九州学院校歌の歌詞について考える(その3・最終)
[2015-09-23]
九州学院校歌は、1931年、学院創立20周年の記念に発表され、以来、現役の生徒はもちろん、卒業生の皆さんに長年にわたり愛唱されて来ました。
校歌の歌詞の意味をもっと理解するため、九州学院の元国語科の福原徳也先生に訳して頂きましたものを2番までをご紹介しましたが、今回は最後の3番です。こうやって、意味を考えてみると、校歌にまた一層愛着が持てるものとなることでしょう。
<九州学院校歌 > 作曲:坂本隆知 作詞:古坂剛隆 (訳:福原徳也)
3.神秘にもゆる大阿蘇の 不断の煙敬天の
高き心を示さずや 碧波はてなき有明の
千尋の海は愛人の 深き思いをたヽえずや
(みよ)神秘的に燃え上がる大阿蘇の
絶えざる煙は天を敬う
崇高な心を示しているではないか
(また)青い波の果てることなく続く有明の
とてつもなく深い海は隣人を愛するという
深い想いをたたえているではないか。
1.青蕪に歴史の跡残す 託麻が原の一角に
日毎身を練り文を練る 九学健児霊育の
活ける真清水流れては 絶えずも若き胸にみつ
青く生い繁った草に歴史の跡を残している
託麻野の一角(にあるこの学舎)で
日々体を練り鍛え学問に励む 九学健児は霊育により
(イエスのみこころ)が活きた真清水のように流れ込み
絶えず若い胸のうちに満ちあふれていることよ。
*「歴史の跡」とは、中世、南朝側の良成親王を擁する菊池武朝と大内義弘らの
擁護する今川了俊の託麻原での戦い。菊池方が奇跡的な逆転勝利に終わる。
2.広き世に立ち国に立ち 負える務を果さんと
湧くや血潮は桜咲く 大和島根のおのこわれ
義を見て勇み正を踏み やまず理想に進まなん
(ゆくゆくは)世界的にも、国内的にも認められ
任務を果たして(世の役に立つ)人になろうと
うちに流れる血潮は桜となって咲くごとく湧き起こり
日本の国に生まれた男子である吾は
人として行うべき筋道を知っては勇みたち正しく生き
どこまでも理想に向かって進んで行こうよ。