おしらせ

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熊日新聞「わたしを語る」 勝野氏に次いで森本孝氏(S5回)

[2013-12-31]

 今年も残すところ後半日となりました。この一年間当九州学院の公式ホームページは、学院に関係する多くのさまざまなニュースをほぼ毎日更新することが出来ました。
 ご覧頂いた皆様方に厚く感謝申し上げます。来たる新年もどうかよろしくお願い申し上げます。どうかよいお年をお迎えください。本当にありがとうございました。                           (担当:I.K)

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 熊本日日新聞で連載されている「わたしを語る」に勝野洋(S20回・1968年卒)の連載記事が先日終りましたが、それに続いてまたも九州学院OBで熊本第一信用金庫会長の森本孝氏(S5回・高校1953年卒)の記事が現在連載中です。
 九州学院のことが頻繁に出てきますので、その中のひとつをご紹介します。
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「学校に内緒で“修学旅行”」連載4回目(熊本日日新聞・12月23日掲載)20131223001_DAT_20131223093544001.jpg

 中学校進学は戦後の学制改革で六三三四制に変わった年でした。地元に新制中学ができ、旧制中学は新制高校になるため、昔からの私学への進学を選び、九州学院中学校を受験しました。競争率は3・5倍だったことを覚えています。

 熊本市大江の学校まで通うのに高橋町からバスで辛島町まで行き、後は歩きでした。中学3年生くらいからは自転車で通っていました。

 1学年3クラス。いずれも立派な先生方が担任でした。生徒は一部を除いて全体的によく勉強していましたね。

 私のクラスからは東京大法学部に進み、警察庁の管区警察局長や熊本大医学部長になった同級生もいます。隣のクラスからは、熊本から数年に1人くらいしか合格しないといわれる東京大医学部に進んだ生徒もいました。1学年下にも東京大に行った人もいます。熊本県の副知事になった松村敏人君も後輩です。

 戦後の日本には米国からいろいろな支援がありました。九州学院には教会関係が応援していたようです。そのため学校経営に余力があったとみられたのでしょうか、福岡県にある大学の医学部を2億円で引き受けないかという打診があったようです。

 全国を見ても医学系の大学が多く立地する地域は、人口や企業の集積が目立ち、都市としての活力も高いようです。医学部引き受けが実現していれば、熊本に国立の医大と私立医大があったことになり、熊本の発展につながったかもしれませんね。

 中学時代の思い出として“修学旅行騒動”があります。戦後間もないせいでしょうか、修学旅行をしないと学校が発表したので生徒が反発。学校に内緒で阿蘇の垂玉温泉に同級生全員で1泊旅行したのです。阿蘇出身者がいたからです。

 120人くらいいたでしょうか。枕投げなどをして大騒ぎしたため旅館から学校に苦情の電話があり、ばれてしまいました。だが、なんのおとがめもなし。多分、全員だったので対応できなかったのでしょう。

 高校も九州学院に進みました。他の高校に行こうとした生徒を学校側は極力引き留めていたようでもあり、他校を受験するものはほとんどいませんでした。外部受験組を加え、高校では1学級多い4学級になりました。