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おしらせ

江藤直純ルーテル学院大学長を迎えて模擬講義

[2017/11/21]

 11月20日(月)7時限、3号館ホールにおいて高校1・2年生特進クラスと高校3年生の希望者(キリスト教学校教育同盟校への進学予定者など)を対象にした模擬講義が行われました。講師として九州学院と歴史的にも密接な関係にあるルーテル学院大学学長の江藤直純先生をお迎えし、「宗教改革500年について−神学が現代社会に果たす役割とは?−」との演題で講義をしていただきました。

 江藤先生は1948年生まれで一橋大学や日本ルーテル神学大学(現ルーテル学院大学)、立教大学大学院などで学ばれて日本福音ルーテル大江教会の牧師に着任。その後、シカゴ・ルーテル神学校大学院博士課程修了(神学博士)。現在はルーテル学院大学学長の重責を担われながら多方面で活躍されています。

 初めに二つのR(Renaissance=再生・復興→文芸復興,Reformation=再形成→宗教改革)について考察されました。両者とも「Ad fontes=源泉に戻ろう」という点では共通するものの、人間をどのような見方でとらえるかによって大きく異なる(前者は人間中心主義で後者は神中心主義)、聖書を通して神の見方でみるとき人間の弱さや罪(本来の道から外れている状態)が見えてくると江藤先生は語られました。

 次に「近代がきわめて大切にしたこと」と題して、人類が市民革命によって「自由・自立・自律」を獲得していったことに触れながら、ルターの宗教改革はこれらに「キリスト律」を加えたことを強調されました。キリスト律とは「〜カラノ自由」すなわち罪からの自由を指すだけではなく、「〜ヘノ自由」すなわち愛の奉仕への自由を指すことを説明されました。

 最後に人間の尊厳や価値について具体的事例を交えながら、なぜ聖書と神学が現代社会に果たす役割があるかについて語られました。現代日本社会を覆っている基本的なものの考え方や人間の測り方が「成果主義・業績主義・競争原理」にあるが、この尺度だけだと「〜ができない(できなくなった)」状態の人間は無価値ということになってしまう。ひいてはそれが人間の生命の尊厳すら認めない事件を生み出している。では、これを超えるものとは何か、それは「人間を神の目から見る」ことであると先生は仰りました。神が価値があるとみた人間(神に創られ愛され購われた人間)はかけがえのない人間であり、聖書学や神学は世間一般とは異なる価値観を学ぶことができる学問だからこそ、その学びは現代社会に果たす役割があるのだと江藤先生は熱弁されました。

 ご講義いただきましたことにあらためて御礼申し上げます。また、江藤先生には21日(火)の生徒朝礼におけるお話もお願いしており、こちらも重ねまして御礼申し上げます。江藤先生とルーテル学院の皆さまのうえにますます豊かな恵みと祝福がありますように、そして私たち九州学院との結びつきもさらに祝され多くの実りが与えられますようにお祈りいたします。

 

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