同窓会からのおしらせ

旧制25回OB特別寄稿 「私と九州学院」

[2013/08/15]

 このほど九州学院同窓会事務局に、旧制25回(1940年卒業)の坂井敏明氏(横浜在住)から次のようなお手紙が届きました。                    「拝啓、盛夏の候、ますますご清祥のことお慶び申しあげます。突然お便り申し上げ失礼ですが、急に九学時代が思い出されペンを執った次第です。お許しください。九学にもこういう学生がいたのだなあということを感じ取って頂ければ幸いです。母校の発展をお祈りします。」というご挨拶文に、「私と九州学院」というタイトルの長文が添えられていました。たいへん貴重なお便りですので、一部を抜粋してご紹介します。

「私の父は九州学院旧制第1回の卒業生である。私は白川小学校5年より飛び級で九州学院に入学し、五高に行くことに憧れていたが、父の転勤(朝日新聞支局長)のために六高(岡山)に進学した。学徒動員で昭和18年末に在学期間2年足らずで仮卒業し、そのまま入隊し幹部候補生となった。昭和19年に六高を正式卒業となり、運よく成績により東京大学法学部に合格したが、大学に籍を残して久留米予備士官学校に入校。ジャワスマラン予備士官学校に転校の後に同校を卒業し、菊兵団に入隊しサ号作戦などに参加した。 昭和20年8月終戦少尉任官の後、捕虜収容所を経て帰国し東京大学に復学した。就職困難時期にもかかわらず、幸いにも昭和23年9月に三菱重工業下関造船所に入社した。経理を経て昭和37年に東京転勤となり、その後は長年にわたり営業一筋に三菱の営業最高責任者として600隻以上を扱った。中でも有名な船舶は、日本郵船の飛鳥、商船三井のさくら丸、にほん丸などである。お蔭様で経団連の今井敬会長、日経連の根本二郎会長、東京会議所の諸橋晋六会長などと親しくさせて頂いたことはありがたい。       これまでの人生において、友人との対話、得意先との折衝など、すべてその基となったのは九州学院時代に学んだ「敬天愛人」の精神であり、これが程私の成長の過程に役に立ったかは計り知れない。私も90才を過ぎ、人生の残りも少なくなってきたが、「敬天愛人」の精神を今後も誇りと満足をもって持ち続けて行くつもりである。」                          imageCA6AP2MX.jpg