歴史余話

歴史の深層、歴史あれこれ 九州学院の卒業生でも意外に知らない学校の歴史エピソードやこぼれ話などをご紹介します。

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第七話 竹製の帽章と校旗

 1943(昭和18)年、学校の校名が「九州學院」から「九州中學校」に変更を余儀なくされたことに伴い、記章の「KG」のマークも変更せざるを得なくなった。
 そこで美術教師の高濱虎喜先生(昭和10年4月~昭和36年3月在職)がデザインされた菊の葉三枚をバックにした「九學」の文字を用いた記章となった。当時は一見、帽章の「九學」の文字が「大學」とも読めそうで、生徒の間でそれなりに喜びもあったようだ。
 当時は資源が不足して金属回収が行われていて、学生服のボタンの数量まで調査の依頼が来ていたが、供出した記録はない。
 そのような時代にあって、帽章は竹製のものとなり、この菊の葉の部分三ヶ所の横に穴が開けられていて、帽子に糸で取付けるようになっていた。しかし、竹製のためすぐに割れてしまっていたという。この帽章はただ一個だけ現存しており、現在歴史資料・情報センターに展示・保存されている。どこで作られ、何個ぐらいが実際に帽章として使われたかは全く分かっていない。


 「九學」の文字が入った校旗は帽章と同じく、「九州中學校」に校名変更した1943(昭和18)年に作られた。しかし、物資が不足していて、絹地に錦糸の刺繍とは程遠い人絹(人造絹糸)のものであった。旗の地色は薄青色である。もちろん校旗の校章は帽子の記章と同じ菊の葉をバックにした「九學」の文字であった。「九學」文字の校旗の使用は短く、1947(昭和22)年の「九州学院中学校」への校名変更と共に変わった。
 KGマークの校旗は創立20周年を記念して作られた。1931(昭和6)年9月8日の記録に「本日校旗来着。赤地に金KGと入」とある。このときに校歌も制定されている。
 このKGマークの校旗の基本の色は赤である。現在のスクールカラーはエンジであり、それぞれの色調は少し異なっている。スクールカラーがエンジになった経緯にも諸説があって、その根拠は今では定かではない。一説には、戦後に早稲田大学出身の先生が早稲田カラーを取り入れて野球のユニフォームを作り、エンジにしたともいわれている。九学カラーのエンジは、現在では広く世間に知られている。卒業生の中で、これらについて詳しく知っておられる方があれば、是非教えていただきたいものである。

[左上写真] 昔の校旗  [左下写真] 現在の校旗  [右上写真] 竹製の帽章

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