歴史余話

歴史の深層、歴史あれこれ 九州学院の卒業生でも意外に知らない学校の歴史エピソードやこぼれ話などをご紹介します。

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 第ニ十三話 九州学院創設地余話

1910(明治43)年1月10日付けで、創設者Charles L. Brown は熊本縣知事川路利恭に対し「私立學校設立認可禀請」を行った。「設立要項」の中には、次のように記されている。
「二 名称
私立九州學院
 
 三 位置
熊本縣飽託郡大江村字大江四百七十七番地、地所及校舎ハ別紙圖面ノ通リ
但該地所及校舎ハ当分ノ間使用スルモノニシテ本學院敷地トシテ熊本縣飽託郡大江村字本ニ於テ約一万坪ヲ買入レタリ直ニ建築スル筈ニテ其費用約十万円ヲ要スル見込ナリ」
 当分の間使用するとした地所及び校舎は、「大江村字大江四百七十七番地」と記されているが、これは日本福音ルーテル教会が独自の最初の教育事業として、1908(明治41)年8月12日設立した「私立熊本高等豫備學校」の所在地(旧向栄社跡)と同じである。熊本高等豫備學校は、設立者及び校長がスタイワルト宣教師、事務担当の幹事が山内直丸牧師(日本福音ルーテル熊本教会牧師)で、責任者には「熊本市水道町十八番地山内直丸方、私立熊本高等豫備學校創立事務所」が充てられている。山内直丸方は、熊本教会を指している。つまり、九州学院の創設地は、現在地の旧・「大江村字本」とは異なる熊本高等豫備學校の所在地「大江村字大江四百七十七番地」だったのである。「私立學校設立認可禀請」には別紙図面(下画像)の「地所及校舎」(=熊本高等豫備學校の地所と校舎)が添えられている。

「熊本高等予備学校」地所見取図

「熊本高等予備学校」地所見取図

「熊本高等予備学校」建家ノ図

「熊本高等予備学校」建家ノ図

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 ブラウンは、熊本に神学部を中心とする教育機関(九州学院)を設立するための土地購入と校舎建設のための費用を調達するため1906(明治39)年5月に帰国し、アメリカ南部一致ルーテル教会を奔走していた。そして、翌年5月16日アメリカ南部一致ルーテル教会ミッションボードは、ミッションスクールの創設と組織作りに本格的に取り組むことと全権限をブラウンに委嘱することを決議した。そのため、在熊のスタイワルト宣教師がブラウンの代役者として熊本高等豫備學校を設立したのである。
ブラウン一家の再来日記事(〈TIDINGS〉1908年9月号)

ブラウン一家の再来日記事
(〈TIDINGS〉1908年9月号)

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 ブラウンはミッションボードから得た5万ドルの資金を手に、1908(明治41)年10月11日熊本に帰任したが、九州学院の創設地(土地)を購入するためには新たな社団法人を設立する必要があり、その設立申請のために1909(明治42)年2月22日、ブラウンは東京に赴いた。そして6月21日付けで、社団法人「在日本アメリカ合衆国南部福音ルーテル教会一致シノッド宣教師社団」は認可された。現在の「日本福音ルーテル社団(JELA)」の前身である。
 熊本高等豫備學校は、同年6月26日に突然閉鎖され、9月27日には後に「九州学院神学部」となる「路帖神学校」(現・日本ルーテル神学校)が新屋敷412番地に開校した。校長にブラウンが就任した。
そして同年11月22日、九州学院敷地1万坪を「大江村字本」(旧・県立工業学校の南隣り、騎兵隊連隊の西側近隣)に2万5千円で買収したのである。それから九州学院校舎等の建築が始まった。したがって、1910(明治43)年1月19日に「私立九州學院」が設立認可された際には、所在地は「大江村字大江477番地」(熊本高等豫備學校の地所、「宣教師社団」の所有地)だったのである。
 翌1911(明治44)年4月15日、「私立九州學院」は「飽託郡大江村字本」(現在地)に開校された のである。

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